ヨハン・セバスチャン・カンマーコーア・ヨコハマ
第71回定期演奏会

第71回定期演奏会を以下のように開催いたします。
どうぞ皆様御来聴くださいますようお願い申し上げます。

バッハの「ヨハネ受難曲」について

 「死者略伝(ネクロローグ)」によるとバッハは5曲の受難曲を書いたとされています。しかし、完全な形で残っているのは「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」の2曲のみで、マルコ伝福音書による受難曲はその大半が失われ、ルカ伝福音書に基づく受難曲はバッハの真作かどうか疑われています。もう一つの受難曲については全く何も分かっていません。
 「ヨハネ受難曲」は、バッハが1723年にケーテンからライプツィヒに移った年の演奏を目論んで作曲されましたが、種々の事情で引っ越しが遅れて受難節に間に合わなくなり、翌1724年4月7日聖金曜日に聖ニコライ教会(昨年末から年初の演奏旅行でカンタータ23番を含むバッハの作品を演奏してきました)で初演されました。
 バッハは生涯に全部で4回この受難曲を演奏し、その度に手を加えました。特に、次の年1725年3月30日聖金曜日に聖トーマス教会で演奏された2回目の時には大きく変更されました。
 冒頭合唱は後に「マタイ受難曲」第1部の終曲に使われた壮大なコラール合唱「おお人よ、汝の罪の大いなるを哭け」に、また40番終曲コラールは、カンタータ23番の壮大な終曲コラールに使われた「キリスト、汝神の子」に替えられました(このカンタータはバッハがケーテン宮廷楽長をしているときに、ライプツィヒの聖トーマス教会カントールに応募して試験作品として演奏したもので、ライプツィヒに来てからこの終曲コラールを追加しました。失われた「受難曲」の1曲かも知れません)。そして11番コラールの後に二重唱アリア(B,S)が加えられ、13番アリア(T)が別の曲に替えられ、19・20番のアリオーソ(B)・アリア(T)が1曲のアリア(T)に替えられました。これら3曲のアリアはいずれも技巧の限りを尽くしたアリアです。これらの変更はすべてスコアの付録で見ることができます。1732年4月11日の第3回目の演奏では、マタイ伝福音書からの2個所の挿入が取りやめになり、終曲コラールも削られました。30年代の終わり頃、多分この曲の決定稿とすることを目指して、美しいスコアを書き始めますが、20ページで突然中断し、ずっと後になってから弟子が残りを書き加えました。恐らくこの頃、市が突然聖金曜日の受難曲演奏を禁止するという決定をしたことが関係していると思われます。そして1749年4月4日の最後の受難曲演奏において4たび「ヨハネ」をとりあげ、マタイ伝からの挿入も含めてほぼ初演の形に戻すと共に細かい改良を加え、また最早時代遅れになったと判断したのか、ブロッケスのテキストによったアリア3曲の歌詞を変えています(今回の演奏会は第4稿を使用します)。

 さて最後に、桂冠音楽監督である前田幸市郎先生の没後20年にあたり「ヨハネ受難曲」を演奏する理由は、ご存命中に第1 回目の「ヨハネ受難曲」の演奏が企画され、最後の2曲を遺してすべての練習を終えた状態での御帰天となった経緯があり、今回のこの演奏を敬愛する前田先生に捧げるといった意味を持っております。

2009年10月4日(日)

13時00分開場 13時30分開演

日本大学カザルスホール

JR中央線・総武線 御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口 徒歩3分
東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅 B1出口 徒歩5分
東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅 B3出口 徒歩5分
東京メトロ半蔵門線 神保町駅 A5出口 徒歩5分

曲目

作曲者 曲目
J.S.バッハ ヨハネ受難曲 BWV245
藤原義久 北からの挽歌(オーケストラ版)

  指揮 阿部 純
エヴァンゲリスト・テノール 五郎部 俊朗
イエス 水野 賢司
ソプラノ 阿部 ゆう子
アルト 大国 和子
バス 浅井 隆仁
セルヴス 小林 雄大
オルガン 久保 晃子
管弦楽 KMG合奏団
合唱 ヨハン・セバスチャン・カンマーコーア・ヨコハマ

チケット購入・お問い合わせ

前売り 3,600円 当日 4,000円 全自由席
学生券 2,000円(事務局扱い、前売りのみ)

ヨコハマストゥーディオ

Tel.090(7286)7905 E-mail.jskcy@infoseek.jp